Pocket Tissue

ポケットティッシュ誕生物語

日本を変えたポケットサイズの大発明!

当時製造をしていたハンディペーパー

とある製紙会社で営業部長として勤めていた森宏(明星産商の創業者)は、「これからは製紙だけではなく、加工もできなければならない。何か良いアイデアはないだろうか」と日々考えていた。
あるとき、息子・彰良(現社長)から「ちり紙をポケットに入れていると、ボロボロになって使いづらい」と相談を受けた。
ティッシュというものがなかった当時の日本では、「京花紙」という薄手の和紙がちり紙として使われていたが、彰良の言うとおり携帯には不向きだった。

「携帯できるちり紙」の研究に取り組み始めた宏。
失敗ばかりでなかなか製品化には至らず、時間ばかりが過ぎていくなか、「ちり紙を包装することで、崩れにくくできるのではないか」と思い付いた。
しかし、一旦は製品化したものの和紙は堅く、折り目が強く付くため取り出しにくいという課題が残った。

ちょうどその頃、海外からティッシュが日本にやってきた。
その紙質はとても柔らかく、宏は「ちり紙に替わるものだ」と確信!
ティッシュを小さく折って包装する「ハンディペーパー(のちのポケットティッシュ)」を開発して製品化。同時に「明星産商」を創業した。

宏はみずからが開発したハンディペーパーの新しい価値と、その将来性を説いて、全国を営業してまわった。(『ハンディペーパー販売のおすゝめ』参照)
じわじわと日本中へ広がりはじめ、やがて、宏の見通しは現実となる。
当時、銀行や商店などは宣伝広告としてマッチを活用していたが、100円ライターが登場し、マッチの需要は激減。その代わりとして、包装のなかに広告を入れたポケットティッシュが使われるようになったのである。
ポケットティッシュは日本中で大ヒットし、生産が追いつかないほどとなった。

ポケットティッシュの誕⽣が機械の開発からスタートしたこともあり、社内ではその後も技術開発や新たな特許の発案などに 力が注がれた。技術向上と同時に、品質レベルもまた進歩させながら、ポケットティッシュからウェットティッシュ、そして、 現在の化粧品OEM製造へと繋がっていった。

ポケットティッシュ大ヒットの舞台裏を知る

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ハンディペーパー販売のおすゝめ


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